浄泉寺

朝のランニング中に気になっていた”ある石碑”があります。腰越駅からすぐ、電車通り沿いにある「弘法大師」と書かれた古い石碑です。石碑自体が若干傾いていて、かなり歴史が詰まっていそうなので、前から気になっていました。弘法大師ということは空海と何か関係があるのでしょうか?

調べてみると石碑の裏手にある浄泉寺が関係あるようですね。浄泉寺は弘法大師「空海」が開いたとされる真言宗の寺でした。創建時期は分かりませんでしたが一説によると819年という情報にも触れることができました。以前の記事(夢告の井戸)で弘法大師「空海」が江ノ島の岩屋で修行をしたのが814年で、それによって江島神社の前身となる金亀山与願寺ができたので、時期としては一致します。

石碑があるほうが昔は正面入口だったようです。さらに言うと国道134号を渡った向かいにある小動神社と、昔は同じ敷地内だったそうですね。いわゆる小動神社の別当寺でした。別当寺とは神社の境内に建立され、神社の管理・運営をする寺のことです。実際に新田義貞が鎌倉攻めする際に、小動神社に奉納した剣が、ここ浄泉寺に保存されていたことがあったといわれています。

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戦後の1954年(昭和29年)に国道134号線を開通させる工事にとりかかり、小動神社と浄泉寺が真っ二つに分断されたんですね。その工事の時に浄泉寺墓地の南側と小動神社境内から、「開元通宝」「治平通宝」「政和通宝」「洪武通宝」、その他宋や明の古銭が千数百枚、約60kgも出土したそうです。これは相当な量ですね。「開元通宝」は中国,唐の通貨であり、621年以降約300年にも渡って流通した通貨です。

134号線の開通を機に、浄泉寺の正面入口は国道沿いになりました。国道沿いの歩道もいささか狭いということと、腰越駅からみて反対側になってしまったこともあり、なかなか集客しにくい寺になった印象はあります。弘法大師の石碑を見ただけでは浄泉寺へ繋がるとは分からないので、ちょっともったいないかなぁと思いました。

先日、朝のランニング中に参拝させていただきました。境内は広く落ち着いた雰囲気です。国道134号沿いの正面入口から入って参拝し、弘法大師の石碑がある腰越駅方面へ抜けて行きました。800年代から伝わるこの寺は、鎌倉の中でも私たちに歴史を伝えてくれる大切な建築物ですね。

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