夢告の井戸

久しぶりの朝のランニング発見特集ですが、今日は江ノ島近くにある「夢告の井戸」という石碑をフューチャーしてみました。毎朝のランニングでは「片瀬東浜」の交差点を通るのですが、その交差点に建っている石碑です。特別養護老人ホーム「鵠生園」のほぼ敷地内に位置しています

この石碑の「夢告の井戸」という文字は右から読むようになっているので実際には「戸井の告夢」と書かれてあります。また石碑の上部が少し割れているように見えて、お坊さんが描かれてるのが分かります。読み方は「むこくのいど?」と読むのでしょうか。ちょっと「夢告」について調べてみると、仏教用語であることがわかりました。詳しくはこちら(ヤフー知恵袋より)

聖徳太子や親鸞といった時代から「夢告」という言葉があるようですね。お坊さんが描かれているので仏教と結びつきが深そうです。調べてみると鵠生園さんのホームページに興味深いことが記されていましたのでご紹介します。

謎多き井戸なので詳しいことはわかりませんが、平安時代にかの弘法大師様が江の島岩屋洞窟で修業された際に関連があるようです。平安から数百年を経た江戸期。東海道も整備され、治安も安定したので庶民は気軽に旅にでられるようになりました。江戸から江の島までは約2日間。鎌倉~江の島~大山は大人気のコースだったようです。江戸期の記録によれば、「片瀬浜の夢告げの井戸は弘法大師のお告げにより湧きいでし清水。その水面に月光を浮かべ、目を洗えば眼病にご利益がある」とのこと

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弘法大師とは空海のことで平安時代に活躍した僧ですね。真言宗の開祖で有名です。以前の記事(深沢の悪龍「五頭龍」と江ノ島弁財天)で書きましたが江ノ島の起源は552年まで遡ります。その後814年に弘法大師「空海」が江ノ島の岩屋に籠り、鎮護国家を祈願して岩屋に本宮を創建したそうです。これにより江ノ島は金亀山与願寺(よがんじ)となりました。

今では江ノ島のメインは江ノ島神社ですが、その昔はずっと金亀山与願寺として人々に信仰されていました。それは明治政府が1873年に「神仏分離令」が発令されるまでの期間です。昔はずっと神仏双方が祀られていたわけですね。このように江ノ島の歴史もとても興味深いです。改めて記事を書こうと思います。

話を戻して「夢告の井戸」ですが、弘法大師「空海」が江ノ島の岩屋に籠って修行をしていた時に、夢の中に神仏が現れて、清い水が湧き出る井戸に関するお告げがあったと推測できます。ちなみに「夢告の井戸」は鎌倉十井には入っていません。

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