六地蔵

場所は江ノ電「和田塚駅」から徒歩2分程度、由比ケ浜大通り(下馬の交差点から長谷へ抜ける道)と今小路(御成小学校方面から海岸へ抜ける南北に走る道)とがぶつかる交差点に「六地蔵」はあります。小さな可愛らしいお地蔵さんが6人並んでおり、それぞれ赤い頭巾とよだれかけをかけています。

ここ六地蔵がある交差点より少し北の一帯は、鎌倉時代の刑場があったと言われています。現在の御成小学校の南側付近には当時幕府の「問注所」(裁判所)があって、死刑判決を受けた罪人は刑場まで連れられたようです。逆に罪を免れた人は「裁許橋(さいきょばし)」を渡って、もとの生活に戻ることができました。たしかに橋の名前が「裁きを許す」になっていますね。

当時の刑場一帯は耕作もしない荒地だったらしく、江戸時代には「飢渇畠(けかちばたけ)」と呼ばれていました。この刑場跡である荒地に罪人供養(罪人の霊を弔う)のために祀ったのが、六地蔵なんですね。

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罪人の供養のために、生死をくり返す六つの迷いの世界(六道)から救うといわれる六体の地蔵が祀られました。ちなみに六道とは、「天道」、「人間道」、「修羅道」、「畜生道」、「餓鬼道」、「地獄道」を指すそうです。その後、現在の交差点の位置に六地蔵は移動されました。

関東大震災によって六地蔵は崩壊してしまったようですが、1934年(昭和9年)に修復されました。この六地蔵の傍らに1786年建立の芭蕉句碑がたっていることから、この辺を芭蕉の辻ともいいます。芭蕉の名句である「夏草や兵どもが夢の跡」が刻まれているようですが、風化によってほとんど読み取ることができないとか。この句は平泉で詠まれたものですが、奥州藤原氏を滅ぼしたのは頼朝なので通ずるところはあります。

今では由比ケ浜通りのフラッグのマスコットキャラクターになっていて可愛らしいですが、調べてみるとこんな歴史があったんですね。人の行き交う何気ない場所にこの六地蔵は今日も罪人の供養をしてくれています。鎌倉から長谷方面へ向かうときは、江ノ電もいいですが、六地蔵を経由して歩いていく手段もいいと思います。

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