若宮大路の段葛

鶴岡八幡宮へはまだ初詣に行けていないので、本日参拝に行こうと思っています。鶴岡八幡宮の正面を走る若宮大路には段葛(だんかずら)がありますね。現在は工事中(2016年3月完了予定)ですが、石で固められた一段高い道が作られており、現在では奇麗な桜並木として観光客の目を奪います。

この段葛は一体誰が何のために作ったのでしょうか?鎌倉時代に源頼朝は幕府を開き、街を充実させるべく様々な政治施設や武家屋敷、寺院等を建築していきました。真っすぐに伸びている若宮大路はその時新たに作られたものであり、鎌倉幕府にとっての重要機関は、若宮大路よりも東側(小町大路付近)に集中していました

街を強くしていくには、鎌倉の山を削り、寺院や屋敷を建てていく必要があります。そうすることによって山の保水力が弱まってしまい、雨が降るたびに若宮大路のほうへ水や土砂が流れ込んだと言われています。この解決策として、頼朝が一段高い段葛を作って、歩きやすい道を確保しました。

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また段葛は西から攻めてくる敵(朝廷)からの防壁としての性格を持ったり、頼朝の妻である北条政子の安産祈願としての意味合いもありました。当時は下馬四つ角付近まで長く存在していました。つまり鶴岡八幡宮から一の鳥居付近まであったようです。「参考文献:鎌倉志」

その後1878年(明治11年)に官有地編入が行われ、二の鳥居から南側は失われました。さらに1889年(明治22年)の国鉄横須賀線の工事でその姿は完全に消されてしまいました。そして1918年(大正7年)に現在のような原型が確立されて桜並木も出来上がりました。

興味深い話としては、当時の段葛は由比ケ浜まで延びていて、もうひとつ鳥居があったのではないかという話です。そして大拝殿という建物もあり、船の発着所として、船出の祈願所としての機能があったのではないかという推測です。「吾妻鏡」によれば、大地震によって鳥居を流失したという記述もあります。さらに段葛は、頼朝の海への緊急脱出ルートだったとも考えられます。こういった事を考えると、鎌倉ロマンが尽きません。

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