鎌倉ペンクラブ

前回の記事で「鎌倉文学館」について書きましたが、鎌倉の文学を語るうえで欠かせない存在なのが「鎌倉ペンクラブ」です。1889年に横須賀線が開通して、東京と鎌倉の行き来がよくなりました。それによって東京にある出版社の担当も比較的簡単に鎌倉へ行けるようになり、多くの文士達が住みやすい鎌倉に移住しました。

この横須賀線の開通が近年の鎌倉にとって大きな契機になっていることは間違いないでしょう。鎌倉から東京へ通勤するサラリーマンも徐々に増えていきました。鎌倉へ移住した代表的な文士は真船豊、大佛次郎、里見弴、久保田万太郎、川端康成、中山義秀などそうそうたるメンバーだったんですね。明治から大正にかけては泉鏡花や島崎藤村、夏目漱石、芥川龍之介らが有名です。

彼らはやがて「鎌倉文士」と呼ばれるようになり、1933年(昭和8年)には「鎌倉ペンクラブ」が発足しました。40人を超える鎌倉文士たちが集って、文学を通して鎌倉という街を活性化しようとしたんですね。その中でも鎌倉の夏の風物詩として30年続いた「鎌倉カーニバル」は代表的な活動だったことでしょう。この鎌倉カーニバルでは毎年テーマを決めて神を祀り、仮装パレードやダンスをしたというのですから、文人の企画とは思えないユニークなイベントでした。

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関東大震災を乗り越え、鎌倉が文学の街として着々と実績を積んでいた時に第2次世界大戦が勃発してしまいます。その戦渦、経済的にも苦しくなった「鎌倉ペンクラブ」を何とか立ち直そうと「鎌倉文庫」がスタートしました。多くの文士たちが自分の書籍を持ち寄り、それを貸し出す「貸本屋」を始めたんですね。

鎌倉文学館では常設展示として「鎌倉文士たち」を紹介していて、「鎌倉文庫」のことも詳しく解説してくれています。開業当日は人々で溢れて、50名以上が本を借りていったことや、当時の会員カードのようなものや、レンタルする際の記帳など、興味深いものがたくさん展示してあります。

鎌倉文庫の場所は鶴岡八幡宮の鳥居近くだったといわれています。多くの文士達が厳しい戦況の中、夢と希望を捨てずに団結して、街と人々の笑顔を取り戻していこうとしたことが伝わってきます。戦後も東京の日本橋にあった白木屋に貸本屋として継続していきました。こういった文学の歴史も鎌倉を知るうえでは重要なポイントになってきます。

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