頼朝はなぜ鎌倉を選んだのか?

タイトルのとおり、なんで源頼朝は鎌倉を幕府の地として選んだのか?、を調べていきたいと思います。前回の記事を読んでいただければ分かるのですが、鎌倉幕府が成立する以前の鎌倉(=古代の鎌倉)は錆びれた田舎というわけではなく、立派な役所も存在した東国の重要地だったことが考えられます。

これを踏まえて、頼朝が鎌倉を選んだ理由は何だったのでしょうか?今では以下の3つが考えられています。

鎌倉は東・西・北の三方を山で囲まれていて、皆実は海に面する要害の地であった。
鎌倉は海に面していて、中央と房総半島とを結ぶ海上交通の重要地であった。
鎌倉は源氏ゆかりの地であった。

まず①ですが、この理由があらゆるところでは定説になっています。しかしよく考えてみると日本は島国であり、そのような天然の要害の地というのは全国にたくさんあります。例えば鎌倉の近くで言うと「小田原」「逗子」だって当てはまります。ちょっと決定打には欠ける気がします。

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次に②ですが、海上交通というのは中世の都市には欠かせない交通手段のひとつです。歴史上の都市はそのほとんどが海に面しており、鎌倉においても当時物資運搬も行われていた「滑川」、由比ケ浜に面する「相模湾」を基点とした水の都だったと考えられます。

最後に③ですが、これこそが頼朝が鎌倉に拠点をおく上で、最も重要視された理由であったと考えられています。少し歴史を遡ってみるとわかるのですが、頼朝より6代前である「源頼信」とその子供である「源頼義」が、1028年に房総半島で起こった平忠常の乱を平定します。それを機に源頼義が鎌倉に屋敷を建てました。また頼義は鎌倉を領地としていた平直方に気に入られた、という話もあります。これによって源氏は東国に確固とした基礎を築くことができたんですね。

このように頼朝の6代先祖である頼義の時代から、鎌倉は源氏において重要土地となっていきました。1180年に頼朝は鎌倉入りした翌日に、頼義ゆかりの由比郷鶴岡(現在の材木座1丁目)にある若宮(元八幡宮)を遥拝しました。このことからも頼朝が先祖から受け継がれた鎌倉という土地に対する敬意の念がうかがえます。

頼朝が鎌倉を選んだ理由・・、それは③の源氏ゆかりの地だったことが第一に挙げられますが、①や②の事項も複合的に重なり合って判断されたんじゃないか、と個人的には思っています。

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