鎌倉時代より以前の鎌倉はどうだったのか?

世間一般的には1192年に鎌倉幕府が成立していますが、実際に源頼朝が鎌倉入りしたのは1180年です。そして平氏が壇ノ浦の戦いによって滅ぼされるのが1185年なので、何をもって鎌倉幕府が成立したのかは個人の見解によって異なってきます

ちなみに頼朝以前の鎌倉はどうだったのでしょうか?日本に現存する最古の和歌集である「万葉集」に鎌倉を詠んだ歌が3つあるようです。そのことから古代においても、名の知れた土地だったことが分かります。近年では鎌倉駅西口からすぐの御成小学校内でいくつかの遺跡が発見されました

この遺跡は今小路西遺跡(1979年に発見)と呼ばれていて、8世紀から10世紀の郡衙(=郡を治める役所)が発掘されています。さらに御成小学校の校庭の柱穴から、墨で書かれた木簡が発見されました。気になる内容ですが、「733年7月14日に郷長丸子某がほしいい(=乾燥させた米)5斗を倉に納めた」と書かれていたようです。これは驚きですね。

スポンサーリンク





この木簡は、実際に当時の人々がほしいい(=乾燥させた米)を食べた後にゴミとして穴に埋められたのではないかと推測します。そして郷長が納めた倉とは、今小路西遺跡で発見された郡衙(=郡を治める役所)の倉である可能性が高いです。御成小学校は鎌倉市役所の隣なので、8世紀からその地に役所があったということに驚きましたし、とても感慨深い気持ちになりました。

さらに御成小学校校庭の北側に奈良時代の瓦片も発見されたようです。このように御成小学校全体は昔から村・地域にとっての重要機関・施設が建っていたと考えられますね。正門前にはかつて鎌倉時代に問注所(=訴訟事務を所管する機関)が建っていた事を示す石碑が建っています。

ちょっと余談ですが「今小路西遺跡」の今小路とは現在でも存在する道路を指しています。JR鎌倉駅西口の御成通りのもう一本奥を南北に走る道ですね。扇ガ谷の寿福寺前から南進し、鎌倉市役所前の信号を経て、そのまま海岸方面へと向かっている道のことを指しています。御成小学校はちょうど今小路の西側に建っているんですね。

少し話が逸れてしまいましたが、鎌倉時代以前の鎌倉は何もなかったわけではなく、奈良時代や平安時代から東国の重要地点としてちゃんとした役所機能も兼ね備えた土地であったことが伺えます。

スポンサーリンク





  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です