深沢の悪龍「五頭龍」と江ノ島弁財天

前回の記事で「五頭龍(ごずりゅう)」について触れましたが、もう少し深堀りして調べてみることにしました。それを語るには鎌倉の「深沢」エリアがキーワードになってきます。江ノ電「腰越駅」そばに神戸川(ごうどかわ)が流れていますが、その神戸川の上流エリアを「深沢」とよんでいました。今では湘南モノレール「湘南深沢駅」が名前として残っていますね。

今では到底考えられないですが、大昔深沢には森の中に大きな湖があったされています。この湖には5つの頭をもった悪龍が住みついていました。この五頭龍(ごずりゅう)の悪行ぶりは並大抵ではなく、山を崩したり、洪水を起こしたり、田畑を荒らしたり、さらには村の子供たちをも食べてしまうことさえありました。そこで村人はこの悪龍をなだめるために、美しい子供を選んで献上するようになりました。五頭龍が住む深沢への道を「子死超え」といい、それが腰越の起源となっている、といわれています。

そのような説がどこに書いてあるかというと、江ノ島の起源や伝説などが記してある「江島縁起」です。この「江島縁起」は平安時代に創られています。深沢エリアに大きな湖があったのも平安時代以前の話になりますね。また「江島縁起」には552年に大地震が起きたと書かれています。(いつものように五頭龍がやってきたと思われます)その地震は10日間揺れ続けて、ピタッと揺れがおさまったと思ったら空から黄金色の光が差し込んで天女が現れます。そして天女は空から石を降らせて、海からは砂を巻き上げ「新しい島」を造りました。その天女こそ「弁財天」であり、突如現れた島こそが『江ノ島』ということです

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弁財天の美しさに五頭龍は一目惚れします。そして求婚を申し出るも「今までの悪行によって村人を苦しめ続けたあなたとどうして夫婦になることができましょうか。」と断られてしまいます。この言葉によって五頭龍は心を改める決意をしました。そして弁財天も五頭龍を受け入れ、二人は夫婦となります。

その後、五頭龍は村人に尽くすようになり、やがては村人からも愛される存在になりました。五頭龍は自分が死ぬ時にその姿を山に変えて人々を守りながら眠りにつきました。江ノ島の対岸にあたる片瀬には「龍口山」がありますね。その山に五頭龍が眠っています。また今日も『龍口明神社』では五頭龍を祀っています。

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