第5回七里ケ浜の歴史を学ぶ会『鎌倉と日蓮聖人』

七里ガ浜の町内会が企画・開催している「七里ケ浜の歴史を学ぶ会」に行ってきました。今回で5回目ということで、私はこちらに引越してまだ4ヶ月なので初めての参加になります。2013年頃から始まっているらしく、年2回くらいのペースで催されているようです。自分たちの町の歴史を再認識するためにこの研究会は発足しました。

第5回目のテーマは「鎌倉と日蓮聖人」でした。顕証寺の住職様がとても分かりやすく、魅力溢れる講義をなさってくれました。(先生ありがとうございました!)第1回〜第4回までの研究テーマも知りたかったし、資料だけでも頂けないかな、とまで思ってしまいました。

さて「日蓮聖人」ですが、私の中では日蓮宗の宗祖であるということと、鎌倉においては龍口寺での法難(行合川の由来となった事件)くらいしか知りませんでしたが、今回の講義で「日蓮聖人」の人物像や功績などを知ることができました。難しい仏教用語にはついていけない所もありましたが、大枠は理解できたと思います。

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日蓮聖人は当時日本中に乱立していた宗派を正すために、仏教の教えの源である「法華経」の信仰を広めました。鎌倉時代には十宗派(南都六宗、平安二宗、念仏・禅の二宗)がありましたが、どの宗派もよりどころにしている教えは、説き主であるお釈迦さまの本心が明かされていないということを生涯にわたって訴えたわけです。

正論なのですが、当時にとっては常識を覆すともとれる考えを人々に広めようとしたんですね。まさに世の中に喧嘩を売る感じだったのでしょうか。当時日本中の寺の多くは師からの教えを継承せずに、自らの理念を加え曲げた教典になっていたようですが、そのような行為を日蓮聖人は許せなかったのでしょう。

さらに日蓮聖人は、その頃起きた様々な天変地異は法華経を信じないからと言い放ち、国家が衰弱している原因についてもそれが起因していると説きました。これを書物にして鎌倉幕府に提出したものが「立正安国論」ですね。ちなみに当時起きた天変地異は以下のとおりです。

1257年8月1日 鎌倉大地震
1257年8月23日 正嘉の大地震
1258年6月24日 鎌倉大寒波(夏なのに雪が降ったと言われています) 
1258年8月1日 大風雨
1258年10月16日 鎌倉大雨洪水、溺死者多数
など
※大地震はマグニチュード7を超えるものだったと言われています

日蓮聖人は長谷寺の大仏建立の中止を唱えたり、極楽寺の忍性との大勝負など、このような排他的な行動は多くの敵をつくってしまいました。そして強引に逮捕され、鎌倉から腰越の龍口寺の刑場まで引き回しされてしまいます。打ち首の直前に空が光り(稲妻が走り)、これが原因で処刑を中止させようと鎌倉へ赴いた使者と、強引な逮捕を免除させようと鎌倉から腰越までの使者が、七里ケ浜で出会ったんですね。これが「行合橋」の由来になります。

今回の「七里ケ浜の歴史を学ぶ会」では多くのことを学ばせていただきました。また次回も参加したいと思います。

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