湘南の由来について

果たして「湘南」はどこからどこまでの場所を指すのか?という疑問を抱く人も多いでしょう。車のナンバーでいうと「鎌倉」「逗子」「葉山」は横浜ナンバーで、藤沢市から西のエリアが湘南ナンバーになっています。この疑問を解決するには湘南の由来を調べてみるとよさそうです。

由来は大きく2つの説があるようです。ひとつは「中国湖南省(こなんしょう)の洞庭湖(どうていこ)に注ぐ湘水(しょうすい)の南方一帯の景勝地」という説です。もうひとつは「相模国の南部、相南(そうなん)が湘南に転じた」という説です。実際に明治22年(1889年)、小倉村と葉山島村が合併して湘南村という村が誕生しています。この村は昭和30年(1955年)まで存続していたようです。

しかし色々と調べてみると「中国湖南省(こなんしょう)の洞庭湖(どうていこ)に注ぐ湘水(しょうすい)の南方一帯の景勝地」の説のほうが信憑性が高そうです。湖南省を流れる湘江の南部エリアは、中世には禅宗のメッカでした。実はこの禅宗が、鎌倉と強く結びつきがあります。

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禅宗は、一般的な仏教の宗派と違うところは、教義を説くことよりも、坐禅の修行と悟りを強調している宗派のことです。鎌倉時代に禅宗は中国から伝わって、鎌倉幕府は手厚く保護したことから始まります。筑前国の聖福寺(福岡市博多区)に次いで最も古い禅寺が北鎌倉にある「建長寺」「円覚寺」なのです。

このようにして鎌倉時代に禅宗は普及しはじめ、室町時代には広く知れわたることになりました。禅宗のメッカであった中国の「湘南」にちなんで、鎌倉周辺の地域も「湘南」と名付けられたと言われています。実際に、円覚寺の禅僧である「夢窓疎石」の周りには、名前の頭に「湘南」と付けていた人や、同じく「湘南」と付けた建築物が多くみられたそうです。

その後、室町時代には小田原・大磯エリアに「著盡湘南清絶地」と刻まれた石碑が建てられて、それを大磯市が管理していることから、「湘南」というエリアは大磯市を中心とした、「平塚」「茅ヶ崎」「藤沢」あたりを呼ぶことになりました。明治時代の「湘南の夏」というガイドブックには、そのエリアが湘南の中心として掲載されています。

このように歴史を紐解いていくと、「湘南」の由来は中国の禅宗鎌倉の禅寺が大きく関わっていたことが起源であることが有力なのではないでしょうか。とすると、湘南エリアは厳密にいうと鎌倉が中心ということになります。

今では相模湾に隣接するエリア(大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、江ノ島、鎌倉あたり)を何となく湘南と呼んでいますが、こうして歴史を照らし合わせながら調べていくと、意外と私たちの知らない湘南が発見できて面白いですね。

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