極楽寺

鎌倉から江ノ電で10分程度で「極楽寺駅」に着きます。ここも鎌倉観光の名所で、多くの観光客で日々賑わいをみせています。極楽寺という名前からは趣きがあってプラスイメージを思わせる雰囲気がありますが、歴史を見てみると、それとは全く逆の過去があったようです。

小さな駅舎がいかにも鎌倉らしく、山々に囲まれた谷になっているので雨でも似合う場所だなぁ、と思っていました。あじさいの季節になるとさらに雰囲気が増します。極楽寺のはじまりは1257年からとされています。ひとりの老僧が深沢に草堂を建てて、阿弥陀如来を安置して極楽寺と称していました。

1259年に北条義時の三男である重時が、現在の場所(江ノ電「極楽寺駅」そば)に再建したようです。当時のこの場所は今では想像つかないですが「地獄谷」と呼ばれていました。人々の死骸が遺棄されたり、行き場を失った人たちが集まる場所だったわけです

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私見ですが、たしかにそばには極楽寺切通しがあるので、鎌倉に攻め入る場合はここが戦場となる可能性は高いです。惜しくも命を落としていった戦没者も眠っているのではないかと思います。一般的な庶民もここで路頭に迷っていたとも言われており、「地獄谷」と言われていました。

北鎌倉の建長寺周辺も同じく「地獄谷」といわれていたそうです。鎌倉は当時から面積に対して人口の比率が多かったので、地位の高い武士は「やぐら」とよばれる岩に掘った穴に埋葬されていましたが、一般的な庶民は周囲の谷戸(やと/やつ)にそのまま放置されていたそうです。大変驚くべきことですが、それが極楽寺や建長寺周辺だったということになります。

そんな地獄谷を救おうと建てられたのが極楽寺であり、開山した忍性は不幸な人々を救済するための福祉事業に取り組みました。人間だけでなく病気や年老いた牛馬の面倒も見ていたそうです。ボランティアの先駆者ともいえる徳の高い僧侶でした。さらに土木事業にも熱心で、約250個の道路改修と多くの橋をつくったそうです。

極楽寺が完成した頃の全盛期は、病泊・馬寮舎などがあって、多くの塔頭を持つ大寺院だったそうですが、火災や大地震などの災害の影響で、現在残っているのは本堂(旧吉祥院)のみになっています。その昔、広大な土地で立派だった極楽寺は、現在稲村ガ崎小学校や住宅地になっています。

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