ブラタモリ鎌倉編

TV放送されてけっこう経ちますが、タモリさんが何十年ぶりに訪れる鎌倉の模様が放送された「ブラタモリ」がありました。視聴者の反響も高く、拡大版として再放送されたので観た方も多いのではないでしょうか?旅の始まりは七里ケ浜の海岸から始まりました。

七里ケ浜の海岸はなぜ黒っぽい色をして熱を含んでいるのか?という質問に対して、タモリさんは砂鉄を含んでいるから、と見事に正解を答えていました。昔の人はここで水虫治療をしていたんだ、とジョークも挟んでいましたが、ここら辺一帯は、昔から砂鉄の産地として有名でした。

特に極楽寺川河口の稲村ヶ崎海岸付近は、砂鉄採取で有名だったそうです。調べてみると、別名「金山(かなやま)」と呼ばれていたと書いてありました。昭和30年代前半には砂鉄採集場になっていますし、名刀正宗を生んだ相洲鍛冶に原料を供給していたことでも有名なんですね。

スポンサーリンク





日本古来の製鉄法である「砂鉄を原料とするたたら製鉄」をこの地域で行っていたのかもしれません。極楽寺川にかかる播磨橋(はりまばし)という小さな橋がありますが、その由来となる播磨は「針金を磨いて釘にする」という意味からきているので、極楽寺から稲村ガ崎あたりで、製鉄から針金・釘・針などを作って、鎌倉幕府に貢献していたのかもしれませんね。

さてその後タモリさんは極楽寺方面へ向かいます。鎌倉観光は江戸時代から流行りだしたようです。当時は「大山(神奈川県伊勢原市)⇒江ノ島」といった観光ルートが賑わっていたようで、これに「江ノ島⇒鎌倉」ルートが確立されていきました。江戸の庶民にとっては、大山詣と江ノ島詣のセットが景勝地巡りであり、娯楽の一つとなったようです。

江ノ島から鎌倉へ入る玄関口を担う稲村ガ崎や極楽寺にはいくつかの茶屋があったと言われています。ブラタモリでも観光案内を兼ねた「ばばあ茶屋」の記録が一般家庭に保管されていました。江ノ電が開通する前の江戸時代は、江ノ島方面から鎌倉へ入るルートが一般的だったんですね。

その後タモリさんは極楽寺の切通しを歩きます。昔の人は一気に道を開通することは困難だったので、段階的に(徐々に)山道を掘り下げていったのだろう、とタモリさんは推測していました。そして有名な和菓子茶屋で名物「力餅」を食べて、近道を通って長谷寺に向かいました。

スポンサーリンク





  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です